諏訪尚武館道場は令和7年7月26日に開館百周年を迎える歴史の深い道場です。
当道場は大正14年7月に初代土橋由衛館長により竣工されました。
初代土橋由衛館長 剣道範士
初代館長が諏訪尚武館道場を建てたきっかけは、中山博道先生のお言葉だったそうです。
剣道・居合道・杖道範士 中山博道先生
【剣道日本】2015年8月号の【ずっと残したい道場】に紹介されましたので、剣道日本の記事を引用させていただき、道場の歴史を紹介いたします。
(以下剣道日本 2015年8月号より引用)
土橋由衛初代館長が尚武館を建てたきっかけは、中山博道の言葉だった。
明治24年生まれで旧制諏訪中学校撃剣部に入部した土橋は、男谷派一刀流大熊一八が開いた尚武館に通い免許皆伝となる。
卒業後実家である雑穀、油の卸商に従事しながら剣道を続け、高齢の大熊に代わって後進に稽古をつけるようになる。
明治44年、中山がこの道場を訪れ、土橋は中山の居合を見て衝撃を受けた。
大正8年に大熊が逝去、道場は人手に渡っており稽古を続ける場所がなくなった。それからしばらく経って、第一高等学校剣道部を率いて諏訪中学校に強化合宿に来た中山と土橋は再会する。
その時中山は「日本第一軍神の諏訪に剣道の道場がないのは誠に残念である。私がどこまでも応援するから、道場を建てなさい」と言った。
30代前半だった土橋は、自家の田畑だった現在地に自費で道場を建てることを決心した。
大正14年1月に設計が始まり7月には竣工。7月26日の道場開き大会には中山が2日前からかけつけ、土橋と諏訪中学校師範の豊田才による大日本帝国剣道形、中山博道の居合術、来賓の試合数十番が披露された。
道場名は大熊から引き継ぎ、中山の推薦で、以前第一高等学校の師範をしていた豊田を尚武館の師範に迎える。
待ちこがれていた道場ができて多くの人が入門した。中山は名誉顧問として、たびたび尚武館を訪れる。
初代館長以下、中山から直接居合を教わった門人も多い。中山の門弟である木村唯次、同じく中倉清らもこの道場を訪れ指導した…